第四条
「楽観と歓喜と、輝く希望と溌剌たる勇気と、平和に満ちた言葉でのみ、堂々と一切を活きる。」

 およそ、ごく普通の人が、心の態度とか、ひいては人生や生命に大きな影響を与えることはないだろうと思い、さほど大きな注意を払わない事柄に対して、注意を促したい。

 かくして、それほど重要でないと、自己教示(胸の中、心中)し、それが直接的には自分の心の態度を、また、なおかつ、結果においても、自分の人生や生命に、さらに他人にまでも大きな影響を与えているもの、それは一体何だろう?
 それは、諸君が日常便利に使っている「言葉」というものである。

 さて、諸君、四六時中使っている言葉。
 さすれば、自分の言葉に自分が尊敬を感じるような言葉を使っているであろうか?

 知らず事とはいざ知らず、ましてや自分のことを言うときに、自分自身のことを知らずに、前向きではなく、平気な顔をして後ろ向きの消極的な言葉を洪水の如く垂れ流している。そういうことを悪いと考えないでやっている。

 ところが、悪いと考えないで盛んに、おしゃべりしていると、自分自身は愚か、それを聞いている人の生命にまで悪影響を与えてしまう。
 かくして、腐ったリンゴが一つでもあると、廻りの奇麗なリンゴまで腐っていくということである。

 くわしくいえば、人間の精神生命の中には、暗示の感受習性というものがある。たった一言をいうのも、この暗示の感受習性というものが、必ず自分が気付かなくても、ものの声に応じたように感じる。感じると同時に潜在意識に対して、そのとおりの状態が働き出すのである。
 そして、その言葉が気高い言葉、神聖な言葉となり、言い換えれば、全て前向きの積極的な言葉を表現した場合には、生命の全てが極めて状態のよい事実になって現れてくる。
 しかしながら、万が一、消極的な「怒り」「悲しみ」「悶え」「迷い」「ねたみ」「悩み」が遠慮なく口から垂れ流されたその瞬間には、言うは愚か、それはもう恐ろしい結果となって行くのである。
真剣に考えてみよう。

 実際!
 人間が、毎日便利に使っている言葉ほど、実在意識の態度を決定する上で、直接に強烈な感化力を持つものはない。感化力というより、むしろ暗示力(感覚・観念・意図などが、言葉などによって、理性に訴えることなく、他人に伝達される力のこと)といおう。このことを完全に理解し、かつこれを応用して活きる人は、もはや立派に人生哲学の第一原則を会得した人といえる。

 多くいうまでもなく、人生というものは、言葉で哲学化され、科学化されているからである。即ち、言葉は、人生を左右する力があるからである。この自覚こそ、人生を勝利に導く最良の武器である。
 何れにせよ、こうした重大消息を考量すると、要約すれば、常に言葉には慎重な注意を払い、如何なる時にも前向き以外の言葉を一切使わぬように戒心(用心すること。油断しないこと)しなければならない。
 何気なく出てくる言葉というものは、この世には存在しない。如何なる人の言葉ですら、その言葉になる前には「観念」言い換えると、頭の中で考えたことが言葉を創り、口から発声されるのだから
 従って、絶対に堅持(かたく守って譲らないこと)しなければならない重要なことは、要するに、「消極的な言葉は、一切使わぬようにする。」
ということである!

 これが習慣となり、癖となったら、それはもう、この人は、健康的にも運命的にも、絶対に幸せになれる。この私が確約しよう。

 念じて言葉で発すれば、
 かつ、絶対に前向き、積極的な心で行けば、万事断じてこれ、達成できる。



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