第六条
「不平不満を口にする、その暇があるならば、自己自身、厳正に批判して、自己の是正に努力する」

 多くの人々の常識の中には、不平不満をいうということは、人生少しも恥ずかしいことではなく、むしろ当然のことで、また、人間共通的のことであるかの如くに思考している実際傾向がある。中には、人間が不平不満を感じ、かつこれを口にするからこそ、人間世界に進歩とか向上とかいうものが、現実化されるのだというような極端な誤解を誤解と思っていない人が極めて多い。これはちょうど、疑うからこそ善・悪の区別や、または普通の場合、何としても理解することの出来ない真理も発見できるのだという考え方と同様の誤解である。
 というのは、不平や不満を口にする悪習慣は、人に「悶え」「苦しみ」を心に多く感じさせるだけで、それ以上、人生に価値のある収穫を招来(まねきよせること)しないということに思いつくと、それが誤解の証拠であると必ず考えられるからである。そして、不平不満は、結果、知らず識らずの間に完全な自己統御(統べおさめること。まとめて支配すること)が出来なくなり、極めて残念な結果となる。
 多くいうまでもなく、人間がこの複雑かつ忙しい人生を活きて行くとき、万一、自己統御が完全に出来ないとしたら、それは、あたかも船の操縦法を知らずに航海に乗り出したのと同様で、幸福とか成功とか、または繁栄とか健康など、人間が当然獲得することも出来ず、人生の荒海の憐れな漂流者で、その一生をあえなく終わることを余儀なくされるだけなのである。
 現に、そのような人があえて広い世界を見なくとも、少し注意深く廻りを見てみると、相当多く、おりはしませんか? 学識もあり、地位もあり、また富の力も相当ありながら、常に、幸福を感じるときよりも、不幸のほうを多く感じて活きているという人が。
 これは、つまるところ理想的な人生の建設に何よりも肝心な自己統御ということが、完全に出来ずにいることの結果なのである。もっとわかりやすくいうならば、そのような人は、人生の出来事、即ち健康や運命的の事柄はもちろんのこと、些細(取るに足りないこと)な日常の人生世事にも、常に絶え間なく脅かされ通しで、そっくりそのまま前述したとおり、船を操縦することを知らない人間が、わずかな風波にも、如何に操縦したらよいかわからず、慌てふためくと同様に、人生を本当に安心して活きてはいない。しかも、その根本原因は、といえば、「心の持ち方」が積極的でないからである。心根が消極的というもので充満しているからである。また、みだりに他人を批判するという悪い習性を、少しも気付かずにいる人は、これを是正(悪い点を改めただすこと)しないと、知らず識らずに根本的な心の態度が消極的に堕落するという、価値のない事実を招来することになる。

「人のふり見て我がふり直せ」という、ことわざがあるが、他人の言葉や行為をやたら批判する人というものは、人のふりに我がふりを正しく照合して、我がふりを是正しようとはしないので、ただそれを批判するだけなのだから、従って、その批判する行為は、何の価値もないのである。突き詰めていうと、みだりに他人を批判することを本意とする人間は、少しも自己省察(みずから省みて考えめぐらすこと)を施さないために、人生に何よりも大切な自己自身の統御ということに少しの進歩も向上もないのである。
 だから、まず他人のアラや、欠点を詮索(細かいところまでしらべもとめること。たずねること)することはやめて、自分のアラや欠点の方を厳しく詮索することである。

 我グループ社員は、当然のごとく、この教えを入念に心がけ、価値高く活きることに専念すべしである。他人のことはすぐわかるが、自分のことはなかなかそう容易にはわからないものだというのは、凡人の言いぐさである。

 常に自己自身厳格に批判して、ひたむきに自己の是正に努力することを、自己の人生に対する責務のひとつだと思量(思いはかること。考えること)すべしである。



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